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更新 2016/1/12

久慈市歴史民俗資料室が
2009年4月28日オープンなりました

事務局では館内画像取材、特別許可得たものであり
無断転出禁止致します

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春夏秋冬
「たたら」とは鉄を精錬する場所をいいます。 
この久慈地方(八戸藩久慈通・盛岡藩野田通)は、大量の砂鉄があり、日本における二大産鉄地であり、山陰山陽の鉄と競合して、 江戸市場を制覇したこともある(寛政のころ)。久慈砂鉄は一般のマサ砂鉄と異なり、浅層、洪積世、山砂鉄で渇鉄鉱系の「ドバ」といわれ、膠着(こうちゃく)した茶褐色いる。久慈八日町の中野作エ門が、釜石鉱山の創業に大きくかかわっているが 1つは山根町の鉄山職人、300人余りを移住させて、その技術を生かし、2つには中野兄弟の資金3千両を得て、大島高任は製鉄に成功している。我が国の鉄鋼業の夜明けは、当地方の技術の先進性と高炉に対する中野兄弟の、その先見性として評価されるべきものである。この地方に高炉を築く夢があったのである水車吹子の発明は野田の中野勘左エ門であるが、天保の後年の発明と推定される。「たたら経営」のコストの低減にかかわる水車吹子の技術革新は、革命的な出来事であり、釜石高炉の縦吹子につながっていったものと推定される。川崎製鉄久慈工場は、我が国唯一最初にして、最後のものであった。 この僻すうの地に砂鉄の量産と工業化にかけた、松方五郎、西山弥太郎氏らは、大正から昭和にかけて、米国、ドイツ等との技術提供をした歴史的事実は特筆されるべきものである。以上の理由から、久慈砂鉄の会の発足をみ、この風土のおける誇るべき鉄産業の文化遺産を後世に残すべく、市民各位及び多くの識者の支援を得て開設となりました。
【たたら館パンフレットから】

歴史資料館見学のご案内
◆見学は事前予約申し込みが必要です
予約先
tel
入館料


久慈市教育委員会 社会文化課
0194-52-2700
無料

久慈地方の砂鉄資源やたたら製鉄、常磐商会による製鉄
川崎製鉄久慈工場に関する資料の展示
南部鉄瓶や鍛冶道具などに関する資料の展示
たたら製鉄や川崎製鉄久慈工場に関する文書、写真類、鍛冶神様の掛軸
鉄の道具と小田為綱・小田観螢に関する資料の展示
市内の遺跡から出土した土器や石器、琥珀製玉などの
埋蔵文化財資料の展示
市内から収集した民具などの民俗資料の展示
・住所
・TEL

・駐車場



久慈市小久慈町
久慈市社会文化課
 0194-52-2700
50台
【道順】
長内川堤防道路を上流方向に進みます。堤防道路は国道7号線(久慈岩泉線)と平行して走る道路です。堤防右下に校舎を改造した資料館があります。
川崎製鉄久慈工場全景。左中程の三角地域が久慈駅前(新町)ではないかと思われます
(画像転用禁止)
・・・此処だけの話・・・
砂鉄資料館「たたら館」は、建物老巧化のため2008/1/11 を持って閉館いたしました。これまでの「たたら館」は、20年に渡り民間団体によって運営されてきましたが、今回閉館により、運営委員会から久慈市に全ての資料が寄付されました。久慈市では寄付を受け、旧久慈商業高校に移転した長内中学校建物(小久慈町)を郷土資料館「鉄の館」として整備し資料を展示しました。
私が小学生の頃、川崎製鉄所が撤退した箇所に(現・市役所)木下大サーカスがやってきました。久慈の田舎町に国内一番手の大サーカスの公演が行われる事は珍しい事で、学校全員で見学に来たのを思い出しました。空中ブランコ、オートバイで丸い金網の中をグルグル廻る、それぐらいですね、覚えてるのは。久慈に来たわけは茨城県の久慈郡での公演を間違えて久慈市に来たそうです。 現在の川崎町の地名は川崎製鉄久慈工場(現在はありません)から名付けられました。
《一部、たたら館発行パンフレット参考》 back
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