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更新 2014/6/29
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数キロに続く砂浜
きめ細かい砂、県北きっての美しい海岸です
この美しい海岸で「野田十府ヶ浦砂音祭」が開催されます
毎年、7月の下旬に行われ県内外から沢山の観光客訪れます
日程は土、日に渡り2日間の開催です
春夏秋冬
 マリンローズ野田玉川
野田玉川 GSスタンド向かいを入ります。(年通し)
 のだ塩工房
えぼし荘入口です。(年通し)
 アジアの館
野田村日形井地区になります。標識はしっかり設置してあります。(年通し)
 のだ塩の道歩こう会
日形井のアジアの館手前付近から山道に入り、山根町まで歩きます。(日程有り)
僕の故郷イベント情報
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 マリンローズ
野田玉川GSスタンド向かいを入ります。国道沿い案内看板があります。

マリンローズパーク野田玉川は、日本有数のマンガン鉱床で知られる野田玉川鉱山跡地、坑内1.500mを観光施設としているところです。またここから産出されるバラ輝石は、マリンローズの原石、学名をロードナイトといいます。現在日本ではここ野田村でしか産出されない貴重なものです。この天然ロードナイトを装身具として加工したものを「マリンローズ」という愛称で呼んでいます。色調はソフトなピンク色から鮮紅色〜帯紫紅色と、天然石特有の変化と神秘性を兼ね備えています。この原石の中から二千分の一に満たないものが装飾品として厳選され、研磨・加工経て皆様のお手元に届けられます。
 
大人(一般)
学生(高・大学生)
小人(小・中学生)
個     人
700円
500円
400円
団体(30人以上)
600円
450円
350円
休     業 毎週火曜日、冬季休業11月〜3月
観 覧 時 間 9時〜17時
交     通 三陸鉄道野田玉川駅より徒歩15分
お問い合わせ 0194-78-2138
 のだ塩工房
数年前から本格的に工房立ち上げ、常時塩造りをしています。工房は、国道45号沿い。えぼし荘入口です・またこの場所では販売もされていないので、購入希望の方は「のだ道の駅」館内で販売されております。塩造りに興味ある方は、工場長に話せば入り口で塩造り工程説明してくれるでしょう。

一袋.200c
野田手作り塩
500円
通販販売可能施設
観光物参観ぱあぷる tel:0194-78-4171
fax:0194-78-4191
詳 細 三陸鉄道陸中野田隣設「道の駅のだ」
 アジアの館
野田村日形井地区になります。標識はしっかり設置してあります。(年通し)
 のだ塩の道歩こう会
日形井のアジアの館手前付近から山道に入り、山根町まで歩きます。(日程有り)

 
大人(一般)
学生(高・大学生)
小人(小・中学生)
個     人
300円
200円
100円
団体(20人以上) 一人当たり 50円引き
休  館  日 ・月曜日(但し、祝祭日の場合は開館し、翌日休館)
・12月29日〜1月1日 1月16日〜3月15日末日(冬季休館)
開 館 時 間 9:00〜17:00
 のだ塩の道歩こう会
初秋の風をうけて、9月の第2日曜日毎年のイベントとして、野田村明内から山根町まで牛の背に塩を載せ内陸へと運んだ、歴史ある「塩の道」を先人たちに思いを馳せながら歩きます
 野田村の海岸で焚かれた塩は、北上山地を越えて雫石や盛岡近在に多く運ばれ、穀物と交換されていました。この塩は、牛の背につけられて運ばれていたので「野田ベゴ」と呼ばれ、海のない内陸部の人たちは冬が迫る晩秋の頃となると、塩行商の野田ベゴが来るのを待ちこがれていました。長くて厳しい東北の冬を越すには、塩漬けの保存食に頼る以外に手段がなかった当時の人々にとって、塩は野田塩ならずとも生活に欠くことのできない貴重なものでした。その命の塩を運ぶ塩の道は、牛が通るだけの狭い険しい山道ながらも、海と山を結ぶ切っても切れない血潮の道であり、人の道でもあったのです。
 江戸時代の野田通りの海岸では、早くから鉄の生産が行われており、中国地方に次ぐ砂鉄の日本二大産地として鉄山が各所にありました。このため、塩を煮る鉄釜が容易に手に入り、製塩の歴史を画期的なものにしました。鹿田、荒田と言われた野田通りの農民たちは、生きていくための確かな稼業として塩煮に精をだしました。それは、北上山脈を越せば、塩一升が米一升に変わる価値のあるものだったからです。野田ベゴによって運ばれる塩は、雫石からさらに足を伸ばし鹿角まで運んでゆきました。仙岩峠を越えると塩一升が米三升にもなったのです。
 野田塩の製塩は、効率のよい塩田の発生を見ないまま、たいへんな重労働である直煮法に終始して歴史を終えました。塩はかって、藩における重要物資であり、米馬とともに戦略物資でもありました。また庶民にとっては、唯一の交換物資であったのです。しかし塩煮稼業は、仕事の割には決して率の良いものではありませんでした。大きな塩釜に大量の薪や柴、丸太を燃やし続け、一晩に66石(1石は180g)の海水を、はねつるべ1斗入りで、660回も汲みあげなければならないのです。煮子たちは一睡もせずに塩を焚き、ようやく一昼夜たって、汗の結晶のような4石の塩がとれました。明治38年に専売制がしかれ、延々と1.000年も続いた野田塩の製塩に終止符がうたれましたが、昭和になって太平洋戦争の末期と終戦後、自由製塩が盛んに行われ、ひととき海岸には130余りの塩釜で賑わい、1日600俵も生産されて遠くは北海道や長野県からも塩買人がやって来ました。それもやがて、塩の価格が暴落し、専売局の指示もあって戦後の塩釜は次々に姿を消してゆきました。
・・・此処だけの話・・・
十数年間十府ヶ浦で続けてきた、野田砂祭りは平成22年より形を変え「十府ヶ浦砂音祭」として生まれ変わりました。県内外からアマチュアバンドを招いて二日間の日程で行われることになりました。砂音祭の行われる十府ヶ浦の海岸は数キロに続く砂浜で県内でも珍しく、国道から眺める景観素晴らしいもです。でも、あいにく海水浴は禁止になっています。数十メートル先は急に深くなり、海水の流れも沖に流れる地形になっているので、岸に向かい泳いでも、なかなかたどり着けなくなる恐れがあると言われています。過去には数件の水死者も発生しております。塩の道を歩こう会では今回(平成17年)記念イベントとして実際の牛を共に歩いてみたいと言う事で、山形村の闘牛をお願いして実行しました。参加者も県内外から約300人余りの行列になりました。全て参加者は完走したそうですが、ベゴが大変だったそうです。闘牛の為の牛なので普段歩かせた事がなく、途中疲れてしまい口から泡を出して座りたがって大変だったそうです。
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