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更新 2014/6/15

三船十段記念館
国際試合など多彩な大会が行われます
◇◆◇◆◇◆◇
記念館駐車場上右に遊歩道があり
奥には「市民の森」になっており沢山の
野鳥たちと出会うことができます
◇◆◇◆◇◆◇◇◆◇◆◇◆◇
春夏秋冬
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■入館料 
区分 個人 団体(20名以上)
◆小・中学生 150円 100円
◆高校生・学生 300円 200円
◆一般 400円 300円
tel.0194-53-2210
開館時間 9時〜16時半
休館日 毎週月曜日・祝日
毎月末火曜日・年末年始

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三船十段記念館では皆様のお越しを
スタッフ一同心よりお待ちしております
国道281号線盛岡からでは市内入り口、川貫地区にあります。記念館までは、登り坂になっており自転車では苦労します。入り口看板脇に自転車置き場があります。
記念館前広場小高い場所に、三船久蔵先生の銅像が、遠くは講道館方面を見て建っています。仙台二中に進んだ三船久蔵は、学業に飽い足らず、二高の道場まで柔道の見学に出かけました。そこで見よう見まねで柔道を覚えたといいます。中学を卒業し、補習科を終了した三船は、上京して講道館に入門。年中休まず稽古を続けました。そうした修練の末、生まれた技が「空気投げ」。相手が動に転じた瞬間、重心をさげて相手を投げる。まさに「柔よく剛を制す」、柔道の真骨頂といえる神業です。また平常心の鍛錬と集中力の養成などのため、三船は子供の頃から興味を抱いていた将棋の世界にも身を投じます。生来の負けん気で、腕はメキメキ上達。ついには日本将棋連盟から三段を授与されるほどになりました。事あるごとに「技は芸術であり、文武は一道である」と披露していた三船は、「武」のみならず「文」にもその才能を遺憾なく発揮しました。その代表が書道。なかでも絶筆となった「自他共栄・中心帰一」の書には、三船の人生が疑縮されているかのようです。(記念館パンフレットから)

明治16年岩手県久慈町(現・久慈市)に生まれる。久慈尋常高等小学校卒業後、郡役所に勤めるも数日で退職。一関中学から仙台二中(現・宮城県仙台第二高等学校)に進み柔道に出会う。仙台二中では柔道部を造った。1903年(明治36年)上京し講道館に入門。1904年(明治37年)早稲田大学予科入学。翌年慶應義塾大学理財科入学。球車、大車、踵(きびす)返し、三角固め等多数の新技を発明し、その真髄といえるのが隅落(別名空気投げ)である。講道館では嘉納治五郎に師事。講道館指南役、東京帝大・早大・明大等多数の大学、警視庁の柔道師範として柔道の普及、後進の育成にも多大な功績を残した。「理論の嘉納、実践の三船」といわれるほど、柔道創始者である嘉納治五郎の理論を実践し「柔道の神様」とあがめられた。1964年(昭和39年)東京オリンピックでは柔道競技運営委員を務め、国際的競技としての「柔道の完成」を見守った翌1965年(昭和40年)1月27日、82歳で永眠。同日、勲二等瑞宝章を授与され、正四位に叙される。(ウィキペディア(Wikipedia)より抜粋)

平成2年8月巽山公園から現在の場所に移転新築されました 記念館は 資料館と柔道場に分かれ、正面右側が資料館左側が柔道場です。資料館の展示室には 十段が着用していた柔道着や筆、スズリ、将棋の駒などの愛用品や書道の作品などが飾られているほかビデオモニターでは神技といわれる「空気投げ」などの当時の貴重な映像を紹介しています展示室のマルチ・スクリーンでは、十段の少年時代から婦人との生活に至るまでの生涯を映像とロボット講談師による解説で楽しむことができます。柔道場では、県内トップレベルの実力を誇る三船十段記念館スポーツ少年団の団員や市内の中・高生などの 稽古が連日行われ「柔道の町・久慈」を支える原動力にもなっています。「久慈国際親善柔道大会」もこの会場が使われており世界のトップレベルの 技を間近で見ることができます。
記念館脇の柔道場です。
柔道場ホールには、数々の大会での縦などが展示されております。
■久慈市立三船十段記念館道場生募集
久慈市内の少年少女の皆さん柔道をやってみませんか
当道場は、久慈市出身で「柔道の神様」と言われた「三船久蔵先生の功績」をたたえ、柔道を通して心身ともに健康な青少年を育てる道場です。柔道は、楽しいスポーツです。たくさんの友達ができるし、遠征試合など楽しい行事がたくさんあります。皆さん、お友達をさそい合って、三船十段記念館に入門しましょう。

1.稽古時間
火〜金曜日
土・日曜日
16時30分から18時30分
10時から12時
2.休 日 毎週月曜日・祝祭日・年末年始
詳しくは、毎月の稽古予定表による。
3.行 事 寒稽古(鏡開き、みちつき)・暑中稽古(一日合宿、焼肉会
遠征試合(県内大会6回・東北管内3回)、市内大会3回等
4.入門方法 入門希望者は、三船記念館までお越しください。
入門料・受講料はありません。
5.指導担当 三船十段記念館柔道指導員 久松尚也さん
他にも楽しい先生方が、たくさん来て指導してくれます。
連絡先・53-2210(久松)
・所在地
・TEL
・駐車場

・JR久慈駅から



久慈市川貫 5-20-230
0194-53-2210

80台
1.0km
【道順】
盛岡からの国道281号線 市内入り口川貫地区に三船記念館入り口標識があります。
故 三船久蔵十段。身長159・体重55 少々小柄ではありますが、柔道の総本山・講道館の門を叩き、神技 「空気投げ」を編み出した名人・三船久蔵十段。三船十段が生まれたのは明治16年。柔道の祖・加納治五郎が、日本古来の柔術をもとに講道館柔道を創始した翌年のことでした。講道館に入門した三船は柔道一筋に励み、神技として名高い「空気投げ」を完成。昭和20年には最高位の十段を授けられ、名人の称を受けました。わずか12畳の道場と9人の門人でスタートした講道館柔道は、やがてオリンピック種目となり、世界的なスポーツと飛躍しました。三船十段の銅像は現在、平成2年に完成した三船記念館にあります。
記念館ホールにある、五辻勉作の若き頃の三船久蔵先生胸像です。記念写真を撮れるようになっています。
告 画像転写禁止
記念館の外庭には(上の写真下段)完成したとき市民の 希望者を募り一人、2千円か、3千円(忘れました)で記念碑に自分の名前、家族の名前を銅板に書き込んで居ります。
■三船十段年表■
明治 16/4/21
29/3/31
30/4/1
36/7/26
37/
37/10/26
38/
38/2/19
39/1/14
40/5/23
42/1/9
43/
旧久慈町三船久之丞三男として生まれる
久慈町尋常高等小学校を卒業
仙台第二中学校入学
講道館入門
早稲田大学予科入学
初段に昇段(21歳)
慶応大学理学財科入学
講道館有段者試合で二本どり16人勝負で8人を投げ二段となる(21歳)
三段に昇段(22歳)
四段に昇段(24歳)
五段に昇段(25歳)
東大、明大、日大等11校の柔道師範になる
大正 元/11/6
3/6/6
6/1/14
12/1/14
郷土に帰り平谷郁子(21歳)と結婚(29歳)
長女潤子誕生
六段に昇段(33歳)
七段に昇段(40歳)講道館指南役
昭和 5/11/16
・7・
6/1/25
9/5/5
11/6/6
12/12/22
15/4/
20/5/25
20/5/27
26/2/26
28/4/21
28/5/
29/5/5
29/12/25
30/11/3
31/
31/11/3
33/10/25
34/11/26
36/11/4
36/11/6
38/4/30
39/4/29
39/11/3
40/1/27
40/1/27
74
40/2/2
74
40/7/18
40/7/18
45/10/10
51/9/19
53/5/4
54/6/27
第一回全日本柔道選手権大会で特別選手として、
佐村嘉一郎七段と模範乱取
八段に昇段(48歳)
天覧試合に発熱をおして田畑昇太郎八段と特選乱取
長女絢子結婚
九段に昇段(54歳)
常盤台新居
十段に昇段(62歳)
長野県志賀村に疎開(8ヶ月)町道場「樹徳館」を創設
波打保育園創設、名誉園長
古稀を迎える「柔道の歌」作詞発表
「柔道回想録」発刊
柔道教典「道と術」発刊
久慈市名誉市民第1号推載。
名誉市民顕彰。
衆議院講師、柔道部名誉師範。
紫綬褒章を賜わり表彰。
久慈市(巽山公園)に三船記念館設立。
日本学士会からアカデミー賞授与される
文化功労者として顕彰。
受賞、金婚式、祝賀会。
久慈市に土地家屋寄贈三船十段の家建設。
生存者叙勲第1回勲三等旭日中綬章授与される
久慈市十周年記念式典で名誉市民章贈られる。
午前2時15分千代囲区駿河台日大病院で長逝 (82歳)
勲二等瑞宝章を授与ざれ全日特旨を以って位記を
追賜せられ正四位に叙せられる。
午後2時より文京区春日町の講道館大道場にお いて、
講遣館葬が執行される。
午後1時より久慈市民会館において、市民葬執行される
三船十段留魂碑建立(巽山公園)
三船十段銅像建立(岩手国体記念)
三船十段隋彰碑建立(行田市水城公園)
三船十段隋彰碑建立(久慈駅改築記念)
三船郁子夫人長逝(83歳)
平成 2/8/6 三船十段記念館建設(旧記念館とりこわし)
年表
・・・此処だけの話・・・
以前は、記念館・道場は巽山公園にあり 当時の中心街の子供達は ほとんど柔道を習っていたそうです。十段の子供の頃を知っている方の話ではとてもワンパクで、(早く言えばいたずらぼんず) でも他人に悪さをしない、弱い者をいじめない、良い面のガキ大将で学校に行くときは騎馬戦の上に乗ったり子供達の中の大将的な子供だったそうです。でも、今考えるとやはりどっかが我々と違っていたと思う、と同級生が話していたそうです。記念館の建物は黒川紀章先生の設計で、アンバーホールより二年ほど前の作品です。記念館お越しの際は先生の作品、外から内からじっくり鑑賞してみてください。
此処だけの話しの話題をあなたにそ〜っと教えます
《一部、三船記念館発行パンフレット参考》 back
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