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国指定文化財 天然記念物
◆長泉寺の大公孫樹 (ちょうせんじのおおいちょう)
樹 種 イチョウ科 イチョウ
所在地 久慈市門前1-111 長泉寺
指定年月日 昭和6年2月20日(文部省告示第45号)
現 況
根本周 15.0m
胸高周 14.5m
樹 高 30.0m
枝張り 25.0m
推定樹齢 約1100年
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 このイチョウは長泉寺の境内にあり、昭和22年と23年の台風により主幹の一部を失い、日本一の座を降りた。樹は雄株である。また、樹幹に大小合わせて百数十本の乳柱が垂れ下がり、その形が乳の形にに似ていることから妊娠婦の妙薬として効くというので近縁の人々の参詣が絶えない。
県指定文化財 彫 刻
◆獅子頭 (ししがしら).岸里の権現
所在地 久慈市小久慈町10-28 丹内神社(画像)
管理者 久慈市小久慈町10-28 岸里豊子
指定年月日 昭和58年12月13日
銘 文
文明17年
奥州小久慈之
師子頭也
製作年代 文明17年 (1485年)
計測値 長さ28.0p ・幅23.5p ・高さ20.0p
材 質 キ リ
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 一般に他地方で獅子頭と呼ぶものであるが、当地方では権現さまと呼んでいる。この権現さまは、木造漆塗・箔押しで、眉や眼をいからし、鼻孔を開き、なかなか威厳がある。上額裏面に文明17年の紀年銘があり、紀年銘のある獅子頭では宮古市の黒森神社と並び県内最古のものである。いつの頃か不明ではあるが、岸里家のすぐ裏の山に巨大な老松があり、その松に何処からか飛来したものか、この権現さまに止まっており、岸里家で主となり、隣部落の老松の近くに小祠を造ってこの権現さまを祀ったものと伝えられている。
県指定無形民俗文化財
◆夏井大梵天神楽 (なついおおぼんてんかぐら)
所在地 久慈市夏井町鳥谷9-1-4 
管理者 久慈市夏井町鳥谷9-1-4 夏井大梵天神楽保存会
指定年月日 平成11年5月7日
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 夏井大梵天神楽は、大梵天神を主祭神として文和3年(1354)南北朝時代以来、山伏修験者により夏井町大宝院に於いて舞い継がれてきました。昔から正月に霞内の家々を巡行し、悪魔を祓い、家運長久を祈り、鎮魂の舞曲として代々受け継がれてきました。しかし、時代の変還とともに後継者が少なくなり、その伝承が困難となりましたので、昭和52年に夏井大梵天保存会を組織し、神楽舞の復元と後継者の育成に努めてきており、舞いの演目も多く貴重であることから、平成9年に久慈市指定無形民俗文化財、平成11年には岩手県指定無形民俗文化財となりました。
市指定文化財 天然記念物
◆天神堂の槻の木 (てんじんどうのつきのき)
樹 種 ニレ科 ケヤキ
所在地 久慈市天神堂35-83 天満天神社
指定年月日 昭和55年11月1日
現 況
根本幹周 12.02m
胸高幹周 6.88m
樹 高 35.0m
枝張り 31.60m
推定樹齢 大略760年前後(鎌倉時代)と推定される
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岩手県内で現在知られているケヤキのうちで、第2位の巨木であり、極めて貴重である。
市指定文化財 天然記念物
◆日吉神社のイチイ (ひよしじんじゃのいちい)
樹 種 イチイ科 イチイ
所在地 久慈市小久慈町51-2 日吉神社
指定年月日 平成5年4月28日
計測値
胸高幹周 3.42m
樹 高 12.0m
枝張り 平均8.8m
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 本樹は雄株で、日吉神社の社殿の正面にあり、樹勢は旺盛である。市内のイチイの中では胸高幹周と枝張りが最も大きい。
市指定文化財 天然記念物
◆傘 楓 (かさかえで)
樹 種 カエデ科 オオモミジ
所在地 久慈市大川目町22-62 慈光寺
指定年月日 昭和55年11月1日
現 況
根元幹周 1.92m
胸高幹周 2.90m
樹 高 3.80m
枝張り 9.30m
推定樹齢 約460年
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 本樹は岩手県内で文化財に指定されているカエデの中で第10位にあたる巨木である。傘楓という名のとおり、美しく整った傘状の樹形をしている。
市指定文化財 天然記念物
◆枝成沢のイチイ (えだなりさわのいちい)
樹 種 イチイ科 イチイ
所在地 久慈市枝成沢14-23
管理者 久慈市枝成沢 谷地鉄男
指定年月日 昭和55年11月1日
現 況
根元幹周 3.60m
胸高幹周 3.40m
樹 高 14.0m
枝張り 16.30m
推定樹齢 約380年
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 本樹は岩手県内で文化財に定されているイチイの中では、第6位にあたる巨木である。
雄雌異株の針葉高木で、これは雌株である。
市指定文化財 天然記念物
◆蒼前神社のアカマツ (そうぜんじんじゃのあかまつ)
樹 種 マツ科 アカマツ
所在地 久慈市小久慈町66-20-2 蒼前神社
指定年月日 昭和60年8月1日
現 況
根元幹周 5.32m
胸高幹周 3.85m
樹 高 30.0m
枝張り 12.0m
推定樹齢 約440年
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 本樹は蒼前神社の境内にある。幹はやや傾斜しているが直幹型である。樹勢は旺盛である。市内におけるアカマツとしては代表的な巨木である。
市指定文化財 天然記念物
◆大滝小滝大明神のアカマツ (おおたきこたきだいみょうじん)
樹種 マツ科 アカマツ
所在地 久慈市小久慈町1-4-1 稲荷神社
所有者 東京港区(株)川崎製鉄工業
指定年月日 昭和60年8月1日
現 況
根元幹周 5.0m
胸高幹周 4.30m
樹 高 20.0m
枝張り 25.0m
推定樹齢 約410年
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 本樹は小久慈地区が一望できる稲荷神社の境内にあり、枝を四方に張り出した美しい傘形をしている。樹勢はすこぶる旺盛である。大正9年に常磐商会(社長松方五郎)が山の神とよばれていた場所に、砂鉄採掘の安全と会社の隆昌を祈願して稲荷神社を建てた。その後、滝ダムにより湖底に沈む大滝小滝大明神をこの地に遷宮したため、大滝小滝大明神のアカマツと呼ばれている。
市指定文化財 天然記念物
◆侍浜八幡の大杉 (さむらいはまはちまんのおおすぎ)
樹 種 スギ科 スギ
所在地 久慈市侍浜町大町7-43 侍浜八幡宮
指定年月日 昭和60年8月1日
現 況
根元幹周 9.60m
胸高幹周 6.40m
樹 高 35.0m
枝張り 15.0m
推定樹齢 約400年
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 本樹は侍浜町八幡宮の境内にあり、御神木となっている。境内は全体にスギが植えられているが、このスギはとりわけ大きく、船舶が洋上を航行するときの目印として古くから貴重がられた。普通老樹にありがちな心腐れもなく、樹勢も旺盛で見事な枝ぶりをして美しい樹形を保っている。
市指定文化財 天然記念物
◆チョウセンアカシジミ
棲息地 久慈市宇部町川原屋敷、山田、大沢地区
指定年月日 昭和62年10月27日
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 チョウセンアカシジミはシジミチョウ科の小さな蝶で、前翅長16〜20o、翅の色は赤黄色で外縁が黒色である。アカシジミなどとは後翅に尾状突起がないことから区別できる。卵で越冬し、6〜7月に羽化する。昭和28年に岩手県田野畑村で初めて発見されるまで、日本には棲息しないものと思われていた。岩手県では、陸中沿岸地方(久慈・野田・普代・田野畑・岩泉・宮古)と盛岡市郊外(滝沢・雫石)の水系の棲息する。
卵画(2016/12/19撮影)
市指定文化財 天然記念物
◆端神の大桂 (はしかみのおおかつら)
樹種 カツラ科 カツラ
所在地 久慈市山根町端神3地割 
所有者 栃木県 伊藤健蔵
指定年月日 平成5年4月28日
計測値
胸高幹周 15.58m
樹 高 22.0m
枝張り 平均13.7m
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 本樹は雄株で「桂の水車広場」の谷川辺りに生育し、主幹の他に数本のひこばえが出ている。樹勢はすこぶる旺盛でカツラの香気を広場に漂わせている。市内におけるカツラでは最も大きく、岩手県では第4番目の巨木である。
市指定文化財 天然記念物
◆熊野神社のイチイ (くまのじんじゃのいちい)
樹 種 イチイ科 イチイ
所在地 久慈市山根町下戸鎖5-38 熊野神社
指定年月日 平成5年4月28日
計測値
胸高幹周 3.34m
樹 高 13.0m
枝張り 平均7.5m
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 本樹は雄株で、熊野神社の階段を登りきった左側にある。幹は地上から2.5mほどまで腐食し、空洞化しているが樹勢は良好である。
国指定文化財 天然記念物
◆天神堂のイチョウ (てんじんどうのいちょう)
樹 種 イチョウ科 イチョウ
所在地 久慈市天神堂35-64 
管理者 久慈市天神堂 間 貞造
指定年月日 平成5年4月28日
計測値
胸高幹周 7.67m
樹 高 22.0m
枝張り 平均9.6m
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 本樹は雄株で、幹が高さ3.5m〜4.0mから著しく枝分かれしている。樹勢は旺盛である。市内のイチョウとしては、長泉寺のイチョウに次いで2番目の大きさである。
市指定文化財 天然記念物
◆和野のイチョウ (わののいちょう)
樹 種 イチョウ科 イチョウ
所在地 久慈市宇部町4-35 
管理者 久慈市宇部町 宇部眞一
指定年月日 平成5年4月28日
計測値
胸高幹周 5.71m
樹 高 18.0m
枝張り 平均8.0m
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 本樹は雄株である。主幹の中央部に枯損した部分と西側に10年ほど前に台風によって折れている部分があるが、樹勢は旺盛である。主幹には小規模な乳柱が数個みられる。この生育地は郷土の偉人小田為綱の生誕地であるということで、イチョウの傍に石碑は立っている。小田家はこのイチョウに因んで、「銀杏の木」と呼ばれていた。
市指定文化財 天然記念物
◆下戸鎖の欅 (しもとくさりのけやき)
樹 種 ニレ科 ケヤキ
所在地 久慈市山根町下戸鎖5-38 熊野神社
指定年月日 昭和55年11月1日
現 況
根元幹周 11.17m
胸高幹周 8.75m
樹 高 33.0m
枝張り 45.0m
推定樹齢 大略710年生前後(鎌倉時代)
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 本樹は「岩手県のケヤキの巨木表」によれば根元径の大きさから岩手県では第5位の巨木である。
市指定文化財 天然記念物
◆慈光寺の杉並木 (じこうじのすぎなみき)
所在地 久慈市大川目町22-62 慈光寺
所有者 久慈市大川目町22-62 慈光寺
指定年月日 平成9年9月1日
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 参道入り口から山門にかけて、直径2mを越す杉の大木が、およそ300mもの長さにおよび東北地方でも屈指の杉並木であり、貴重な文化財です。並木は参道の両側の74本の杉の木から成り、並木の保存状態も良好で、最も太い杉で胸高4.25mを測ります。現在の並木の間にある切り株は戦時中に軍用船に使用するためや、昭和30年代に寺の屋根の葺き替えに使用するために伐採されたものです。
市指定文化財 天然記念物
◆琥珀大原石 (こはくだいげんせき)
所在地 久慈市川崎町17-1 久慈市文化会館
所有者 久慈市川崎町1-1 久慈市教育委員会
指定年月日 平成12年6月1日
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市指定有形文化財 絵画
◆諏訪神社の絵馬 (竜宮図)(すわじんじゃのえま・りゅうぐうず)
所在地 久慈市長内町35-98-3 諏訪神社
管理者 久慈市長内町21-60-5 勝田勝蔵
指定年月日 昭和60年8月1日
年 代 江戸時代享和2年(1802年)
計測値 縦92.0p・横212.0p
材 質 ケヤキ
市指定有形文化財 絵画
◆諏訪神社の絵馬 (志度之海士図)(すわじんじゃのえま・しどのあまず)
所在地 久慈市長内町35-98-3 諏訪神社
管理者 久慈市長内町21-60-5 勝田勝蔵
指定年月日 昭和60年8月1日
年 代 江戸時代後期
計測値 縦141.0p・横177.0p
材 質 ケヤキ
市指定有形文化財 彫刻
◆川代毘沙門堂の初代熊野権現 (かわだいびしゃもんどうのしょだいくまのごんげん)
所在地 久慈市小久慈町1-13-1 毘沙門堂
管理者 久慈市小久慈町1-17 川代左一
指定年月日 昭和60年8月1日
製作年代 無銘(室町時代と推定される)
計測値 長さ30.0p・横26.5p・高さ16.5p
材 質 キリ
市指定有形文化財 彫刻
◆諏訪権現 (慶長12年銘)(すわごんげん)
所在地 久慈市長内町23-44 
管理者 久慈市長内町23-44 久保田覚道
指定年月日 昭和60年8月1日
製作年代 慶長12年 (1607年)
計測値 長さ28.0p・幅23.5p・高さ20.0p
材 質 ホオノキ
市指定有形文化財 彫刻
◆新山大権現 (しんざんだいごんげん)
所在地 久慈市長内町23-44 
管理者 久慈市長内町23-44 久保田覚道
指定年月日 昭和60年8月1日
製作年代 江戸時代延宝6年 (1678年)
計測値 長さ28.5p・幅21.0p・高さ23.5p
材 質 キリ
市指定有形文化財 彫刻
◆木造毘沙門天立像 2体 (もくどうびしゃもんてんりゅうぞう)
所在地 久慈市門前1-111 長泉寺 
管理者 久慈市門前1-111 長泉寺
指定年月日 平成5年4月28日
年 代 平安時代後期
計測値
その1 総高91.0p
その2 総高76.3p
材質・形状 カツラ材 一木造
市指定有形文化財 工芸品
◆鉄造三馬像懸仏 (てつぞうさんばぞうかけぼとけ)
所在地 久慈市大川目町1-40 五妨観音堂 
管理者 久慈市大川目町1-70-1 村木栄之亟
指定年月日 昭和60年8月1日
製作年代 江戸時代元禄2年 (1689年)
計測値 径20.5p・厚さ0.4〜0.5p
材質構造 ?鉄製 像鏡一?
市指定有形文化財 工芸品
◆銅鰐口 (どうわにぐち)
所在地 久慈市川崎町1-1 久慈市教育委員会 
管理者 久慈市川崎町1-1 久慈市教育委員会
指定年月日 平成5年4月28日
年 代 慶安3年(1650年) 8月
計測値 面径16.0p 肩縁厚5.5p ?座厚8.9p
目〜目18.4p 目の出0.75p 舌の出0.65p 舌の開き0.8p
材質・形状 ?銅整 銘文陰刻
市指定有形文化財 古文書
◆宇野人家禄 (うのじんかろく)
所在地 久慈市山根町上戸鎖1-14 
管理者 久慈市山根町上戸鎖1-14 小野寺源次郎
指定年月日 昭和48年10月8日
年 代 江戸時代
形状等 和?冊子 毛筆書き(和紙) 縦25.5p・横18.0p
市指定有形文化財 古文書
◆馬継所印 附人馬継立判鑑 (うまつぎしょいん・つけたりじんばつぎたてはんかがみ)
所在地 久慈市山根町木売内7-39 
管理者 久慈市山根町木売内7-39 畠山俊郎
指定年月日 昭和60年8月1日
年 代 江戸時代
材 質 ツゲ
計測値 高さ5.3p 印部縦幅3.3p 印部横幅2.6p
市指定有形文化財 考古資料
◆遮光器土偶 (しゃこうきどぐう)
出土地 久慈市長内町40-19 (二子貝塚) 
管理者 久慈市長内町44-132-94 新井谷岩蔵
指定年月日 昭和48年10月8日
年 代 縄文時代晩期
計測値 体高28.6p 幅19.1p 厚さ10.0p
市指定有形文化財 考古資料
◆壺 (つぼ)
出土地 久慈川河口付近 
管理者 久慈市川崎町1-1 久慈市教育委員会
指定年月日 昭和48年10月8日
年 代 不明
計測値 高54.0p 口径17.0p 低径18.5p 最大径54.0p
市指定有形文化財 考古資料
◆石 棒 (せきぼう)
出土地 久慈市山根町端神 (高清水) 
管理者 久慈市山根町端神4-81 大石正一
指定年月日 昭和48年10月8日
年 代 縄文時代後期
計測値 長さ101.5p 最大径29.0p 重量14.7s
市指定有形文化財 考古資料
◆石 刀 (せきとう)
出土地 久慈市侍浜町中沢 
管理者 久慈市侍浜町本町7-31 久慈義昭
指定年月日 昭和48年10月8日
年 代 縄文時代晩期
計測値 長さ33.0p 最大幅3.3p 重量0.27s
市指定有形文化財 考古資料
◆浅 鉢 (あさばち)
出土地 久慈市侍浜町北野10-216 
管理者 久慈市侍浜町北野10-216 浜坂実
指定年月日 昭和60年8月1日
年 代 弥生時代初期
計測値 口径30.0p 底径11.6p 器高13.6p
市指定有形文化財 考古資料
◆中長内遺跡出土琥珀製玉類未完成品一括 
(なかおさないいせきしゅつどこはくせいぎょくるいみかんせいひんいっかつ)
所在地 久慈市川崎町1-1 久慈市教育委員会内 
管理者 久慈市川崎町1-1 久慈市教育委員会
指定年月日 平成9年9月1日
市指定有形民俗文化財 建造物
◆諏訪神社本殿・拝殿 (すわじんじゃ・はいでん)
所有者 久慈市長内町35-98-3 諏訪神社 
管理者 久慈市長内町35-98-3 諏訪神社
指定年月日 平成12年6月1日
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市指定有形民俗文化財 建造物
◆附棟札 13枚 (ふとうふだ)
所有者 久慈市長内町35-98-3 諏訪神社 
管理者 久慈市長内町35-98-3 諏訪神社
指定年月日 平成12年6月1日
市指定有形民俗文化財
◆山守の焼印 (やまもりのやきいん)
出土地 久慈市山根町細野4-91 
管理者 久慈市山根町細野4-91 大屋孝一郎
指定年月日 昭和48年10月8日
年 代 江戸時代
計測値 長さ34.0p 印部縦幅15.4p 印部横幅11.3p
市指定有形民俗文化財
◆蛭子神社の棟札 4枚 (ひるこじんじゃのむなふだ)
所在地 久慈市長内町17-60 蛭子神社 
管理者 久慈市長内町21-60-5 蛭子神社
指定年月日 平成5年4月28日
年代・計測値
(1) 文明13年(1481年) 高さ29.0p 幅24.3p 厚さ1.5p 桐・角形
(2) 元亀2年(1571年) 高さ76.8p 幅21.5p 厚さ2.7p 桐・山形
(3) 寛永18年(1641年) 高さ58.2p 幅36.5p 厚さ1.8p 松・平頂山形
(4) 延宝2年(1674年) 高さ85.3p 幅31.0p 厚さ1.2p 杉・山形
市指定有形民俗文化財
◆蛭子神社の助人足覚面附 2枚 (ひるこじんじゃのすけにんそくおぼえめんつけ)
所在地 久慈市長内町17-60 蛭子神社 
管理者 久慈市長内町21-60-5 蛭子神社
指定年月日 平成5年4月28日
年 代 江戸時代延宝元年 (1673年)
計測値・材質・形状
覚.1 縦62.5p 横145.3p
厚さ2.0p
杉・木板墨書
覚.2 縦61.3p 横145.5p
厚さ2.0p
杉・木板墨書
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 この助人足覚は、いずれも上下2枚の板を組み合わせたものに 書かれている。表面には、村名、人名、人数が上下2段に記録され、裏面には 薬師堂の造営を称賛する和歌と絵が書かれている。蛭子神社には 延宝2年銘の棟札があり、造営工事が4月朔日に完了したことが 分かるが、人数覚の日付からこれに関係するものである。「村」に ついては、八戸藩の領内行政区分により、通制が確立するのは 寛文11年(1671年)で、九戸郡内18か村という村を意味するも のではなく、現在の部落の範囲あるいは更に細分化された集落 を指しているものと思われる。「人名」は兵部、佐京助、右京助、 治部、式部、刑部などの中世の流れが色濃く見られ、「文字」に ついても棟札などとは異なり、中世的であることから極めて貴重 な資料である。
市指定有形民俗文化財
◆枝成沢虫まつり (えだなりさわむしまつり)
所在地 久慈市枝成沢 
管理者 久慈市枝成沢 枝成沢町内会
指定年月日 平成9年5月1日
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市指定文化財 史 跡
◆寺里住居跡 (てらさとじゅうきょあと)
所在地 久慈市寺里第29地割地内  
所有者 久慈市天神堂32-18-1 松本和憲
指定年月日 昭和48年10月8日
年 代 奈良・平安時代
市指定文化財 史 跡
◆二子貝塚 (ふたごかいづか)
所在地 久慈市長内町40-19  
所有者 久慈市長内町44-90-1 笹原竹治
指定年月日 昭和48年10月8日
年 代 縄文時代
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 久慈湾の南方の海岸に面した、標高約40mの二子段丘面に立地する。
久慈湾を一望できる好適地である。地目は畑で、昭和24年に道路拡張 工事に伴い、遮光器土偶(市指定文化財)やシカの角・下顎骨が出土 しており、現在でも畑にはイガイや巻貝等の貝類の細片や、縄文時 代晩期の土器片が散布している。下層からは、縄文時代前期や 後期の土器の破片も認められ、今から約6千年以上も前からこの 地に人が住んでいたことを物語っている。
市指定文化財 史 跡
◆久慈城跡 (くじじょうあと)
所在地 久慈市大川目25-60、ほか  
所有者 久慈市大川目町18-15 藤森敬三、ほか
指定年月日 昭和48年10月8日
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 久慈城は高台に位置し焼城後、のちに地権者も変わり馬の放牧場になり、その頃は町並も見渡せたそうですが現在は木立の林に囲まれ見渡すことは出来ません。
市指定文化財 史 跡
◆石造青面金剛像 (せきぞうしょうめんこんごうぞう)
所在地 久慈市小久慈町51-2 日吉神社  
管理者 久慈市小久慈町51-2 水上由治郎
指定年月日 昭和60年8月1日
年 代 江戸時代宝暦3年 (1753年)
計測値 高さ37p 幅35p 厚さ18p
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 庚申信仰が佛教と結びつくにつれて、庚申の本尊は青面
金剛とされるようになる。身体に蛇を巻き付かせ6本の腕と、3つの目をもつ恐ろしい形相が石像としても彫られ、延命長寿や豊作豊漁、疫病平癒などを祈願した。石質は安山岩質で、浮き彫りにされている。地域には産出しない石材とみられる。本県の青面金剛像では6番目に古いもので、市内の唐申塔としては2番目に古い。宝暦3年2月と銘記されている。
市指定文化財 史 跡
◆平沢一里塚 1基 (ひらさわいちりつか)
所在地 久慈市長内町28-107-2   
所有者 久慈市長内町37-9-3 卯道芳雄
指定年月日 平成5年4月28日
年 代 藩政時代
計測値 直径 南北12.6m 東西12.4m
高さ 3.63m
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 江戸幕府は、国内統治のため幹線街道の整備を図り、36町を1里と定め旅行者のため一里塚を築かせ、一定区間に宿駅を設け伝馬による継送を基本とする宿駅制度がつくられた。
盛岡藩主重直公は、領内の街道整備に努め、悪路の改修、新設などの下と主要地点を結ぶ地方道は、ほぼこの頃にできたといわれる。
「南部領惣絵図」(藩政時代)には、三陸沿岸沿いに仙台領本吉郡気仙沼から八戸藩領を通り青森県に至る「浜街道」の一部に長内村地内の「一里塚」が記されている。これが「平沢の一里塚」である。現存する西塚は、築造時の現型をかなりとどめていると思われ、交通史を知る上で貴重な史跡である。
市指定文化財 史 跡
◆麦生砲台場跡 (むぎょうほうだいばあと)
所在地 久慈市侍浜町麦生第1地割地内
管理者 久慈市侍浜町麦生3-8 中塚是昭
指定年月日 平成5年4月28日
年 代 藩政時代
計測値
その1 東西9.0m 南北10.0m
その2 北東〜南西38.0m 北西〜南東23.0m
材質・形状 土塁
近くに狼煙(のろし)穴と推定される穴がある。久慈湾に面した標高60mの断崖上の平坦面に所在する。現在は案内板だけで砲弾跡は見ることは出来ません。
侍浜厳島神社大鳥居横に位置します。
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 江戸幕府は寛永11年(1634年)外国往来の禁止、並びにキリスト教の禁止を強化したことにより、盛岡藩では外国船監視のため領内随所(20箇所)に浦番所(「遠見番所、宮番所」とも称した。)を設け、
見張りに当たらせた。また、係役人が巡回してその万全を期していた。
「盛岡藩雑書」に正保元年(1644年)4月26日浦番改 久慈之内大尻崎、同所麦生崎とあり、沿岸警備に麦生崎は重要な場所とされていた。寛政4年(1792年)ロシアの船が来航したことから、異国船の出没に備え、沿岸防備として遠見番所を陣屋とし、砲を備え台場化したとされる。
藩政時代に作成された陣屋についての古絵図(八戸市立図書館所蔵 年代不詳)には、久慈湊、麦生に陣屋があり、それぞれに「討場」として記載されている。麦生崎には「討場」が4箇所あったとされているが、そのすべての場所は確認されていない。陣屋前「討場」は、崩れかけた土塁がその跡をとどめている。久慈湊、半崎の台場跡は消滅し、市内で残っている唯一の台場跡である。
市指定文化財 史 跡
◆御申大権現庚申塔 (おんさるだいごんげんこうしんとう)
所在地 久慈市大川目町25-129-1
管理者 久慈市大川目町23-17-1 小倉ミヤ
指定年月日 平成5年4月28日
年 代 江戸時代寛保2年 (1742年)
計測値 高さ89.0p 幅64.0p 奥行き58.0p
材 質 砂岩質
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 中国に伝わる道教の「守庚申」という行事が平安時代に日本に伝わり、仏教や神道が混交して「庚申侍」という行事になりまいた。庚申にあたる日夜に、人の体内にいる虫が天に昇って天帝にその人の罪過を告げると天帝はその人の寿命を縮めるため、庚申の日は眠らずに過ごして虫の昇天を阻止すれば長生きすると信仰され、江戸時代に盛んに行われ塔が建てられました。
信仰が広まるにつれて豊作豊漁や病気平癒も祈願されるようになり、「道祖神」と結びついて追分碑を兼ねたり、悪疫などを防ぐ「塞の神」として地区のはずれなどに建てられました。県内には約五千基の庚申塔があり「御申大権現よ刻まれているのはこの石碑だけです。久慈市内には五十基以上の庚申塔があり、lこれは最古の庚申塔で建てた人たちの名も刻まれており貴重
な文化財です。
市指定文化財 史 跡
◆慈光寺の一字一石塔 (じこうじのいちじいっせきとう)
所在地 久慈市大川目町22-62 慈光寺
管理者 久慈市大川目町22-62 慈光寺
指定年月日 平成5年4月28日
年 代 江戸時代享保3年(1718年)
計測値 高さ150.0p 幅85.0p 奥行き60.0p
材質・形状 擬灰岩質
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 接待宗碩(せったいそうせき)が生前、各地にその数39基建立されたと推定されているが、現在、八戸市、階上町、南部町、二戸市、鹿角市、洋野町、久慈市の名所旧跡において13基が確認されている。一字一石塔は経典を後世に残すため石塔の下に経文の一文字を書いた小石を大量に埋納したものであるとされている。
市指定文化財 史 跡
◆山口八幡宮の一字一石塔 (やまぐちはちまんぐうのいちじいっせきとう)
所在地 久慈市大川目町13-2 山口八幡宮
管理者 久慈市大川目町13-2 山口八幡宮
指定年月日 平成5年4月28日
年 代 江戸時代享保3年(1718年)
計測値 高さ125.0p 幅34.0p 奥行き30.0p
材質・形状 硬砂岩質
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 一字一石塔は経塚の一種である。経塚は、お経を永く後世に守り伝えるため、経文を書いて土中に埋めて塚を築いたもので平安時代からみられる。一字一石塔は経文を一文字ずつ小石に書いて土中に埋め、その上に石塔を建てたもので、室町時代以降から全国に広まり、江戸時代に盛行したが、お経を守るという本来の目的から、菩提を弔う追善供養・祈願・堂塔の地鎮などに変わっていった。久慈市内には180基ほどの信仰に関わる石塔が残されているが、この一字一石塔は年号刻まれているものとしては、市内で三番目に古く貴重である。健立したのは中世に久慈地方を領地した久慈氏の系派を継ぐ接待久慈氏の一族で、八戸藩に仕えた接待宗碩(せったいそうせき)である。宗碩は旧南部藩領の名所旧跡に多くの一字一石を建てている。
市指定文化財 史 跡
◆鳥谷の宝篋印塔 (とやのほうきょいんとう)
所在地 久慈市夏井町鳥谷5-17
管理者 久慈市夏井町鳥谷5-17 工藤テイ
指定年月日 平成5年4月28日
年 代 室町時代末期
計測値 高さ80.0p 幅37.0p 奥行き35.0p
材質・形状 安山岩質
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基壇(高さ14.0p 幅32.0p)と基礎(高さ8.0p 幅25.0p)は、一石でつくられており、無地の自然石である。基礎の側面は、台形状である。塔身(高さ19.0p 幅17.0p)は、輪郭を巻き、更に、四面を田型に4区に区切っている。傘(高さ18.0p 幅32.0p)の段型は、下1段に沈線を入れ、上は3段に省略してある。
隅飾は、軒端の上端に小突起状につくられ、やや外反している。相輪(現状高21.0p)は、請花の上に上部の欠失した宝輪をのせる。請花は、鋸歯状に10個の蓮弁を線刻している。室町時代後期から末期のものと推定される。宝篋印塔は、五輪塔とともに我が国の石塔の二大潮流をなすもので、供養塔や墓塔として全国的に数多く建てられている。久慈市内には約10基残っているが、いずれも室町時代後期から近世初期までのものとみられ、手がかりの少ない久慈地方の中世の歴史・分化を探る上で重要な資料である。
市指定文化財 史 跡
◆上野山の宝篋印塔 (こうずけやまのほうきょいんとう)
所在地 久慈市長内町第19地割地内
管理者 久慈市長内町17-51 菊池京子
指定年月日 平成5年4月28日
年 代 室町時代末期
計測値 高さ66.0p 幅36.0p 奥行き36.0p
材質・形状 安山岩質
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 国道45号線沿いの通称上野山(こうずけやま)の西側斜面上にある。基壇は無く、自然石が敷かれている。基礎(高さ10.0p 幅32.0p)は、一段で無地の切石である。塔身(高さ23.0p 幅20.0p)は、やや縦長の無地である。
傘(高さ15.0p 幅36.0p)は、段型を下一段、上二段に省略してつけている。
軒端は丸く、隅飾部分をつかむようにして外側に大きく突起させておいる。突起は一定ではななく不揃いで、傘部の平面形はヒトデ形である。傘の最上部には、平面方式の露盤をつけている。
相輪(現状高17.0p)は、交差する斜線で蓮弁を刻んだ請花をつくり、その上に宝輪をのせている。宝輪は上部を欠失しており、五輪を残すのみである。
市指定文化財 史 跡
◆深田の宝篋印塔 2基 附相輪2基 (ふかだのほうきょいんとう・つけたりそうりん2き)
所在地 久慈市山根町深田5-38
管理者 久慈市小久慈町58-64-1 伊藤芳正
指定年月日 平成5年4月28日
年 代 室町時代末期
計測値
その1 高さ99.0p
その2 高さ47.0p
材質・形状 安山岩質
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 深田元村の根井馬吉氏宅前に2基立っているもののうち、通路から水田方向に向かって右側の塔である。現在は、塔身のあるものが2基分と相輸断片が2基分現存しているが、以前は5基以上あったものと推定される。
市指定文化財 史 跡
◆木売内の三界萬霊追分碑 (きうりないのさんがいばんれいおいわけひ)
所在地 久慈市山根町木売内8-125
管理者 久慈市山根町木売内6-6 畠山定次郎
指定年月日 平成5年4月28日
年 代 江戸時代文化2年 (1805年)
計測値 高さ89.0p 幅35.0p 奥行き18.0p
材 質 砂岩質
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 三界とは一切の衆生が転生輪廻(りんね)する三種の迷いの世界の事で、欲界、色界、無色界をいう。即ち、三界万霊塔はすべての生き物の霊を供養するものであり、寺や墓地に建てられることが多い。
野田街道の四辻に所在し、供養塔と四方道標を兼ねた碑である。「左・右」で示す道標はよくあるが、「方角」で示す道標は少ない。しかも、四方を示す道標は市内唯一の碑である。
市指定文化財 史 跡
◆川代の二十三夜塔・庚申供養塔 (かわだいのにじゅうさんやとう・こうしんくようとう)
所在地 久慈市夏井町夏井第22地割地割内
管理者 久慈市夏井町夏井23-5 川代福四
指定年月日 平成5年4月28日
年 代
二十三夜塔 文政12年 (1829年)
庚申供養塔 文化元年 (1804年)
計測値・材質
二十三夜塔 高さ100.0p 幅52.0p 奥行き10.0p 砂岩質
庚申供養塔 高さ164.0p 幅70.0p 奥行き30.0p 砂岩質
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 二十三夜塔と供養塔とが並んで建立されている。
久慈市の二十三夜塔は、この碑のみだけであり、その由来も全く伝えられていないが、恐らくかっては作占いを行なっていたものと考えられる。また、庚申供養塔と並んで立てられていることから、庚申信仰と二十三夜信仰が同一地域で同時に行われたことを裏付ける史料である。
二十三夜信仰とは、一定の月の二十三日の夜に講の集まりをもち、月の出を持って拝む行事であり、三夜の月の出の位置や状態によって作占いを行う習わしがあった。
□私たちの町 指定文化財
参考資料:「久慈市の指定文化財」「デーリー東北新聞」
告:ページ内無断データ抜粋禁止
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